(第6回 ~ 追記~) 台湾日月潭の紅茶産業について  

 このブログを書いている時点では夏真っ盛りです。私は台北で自営業を営んでいますから、いつでも休みは取れます。昨年の今頃は定年退職直前でもあり、有給休暇の消化で長めの休みを取りイスラエルエルサレム⇒ナザレ⇒パレスチナ自治区ベツレヘム)⇒テルアビブ)に行きました。人生初の中東の異次元世界にわくわくの毎日でした。

 

今年は、トルコかインドかスリランカかどこか行こうと思っていましたが、まさか世の中がこんな状況になるなんて誰が想像したでしょうか。と言うことで、今年の夏は台湾国内旅行で南投県仁愛郷(合観山3417m)と魚池郷(日月潭)へ行きました。

 

多少雨に降られましたが、まずまずの天気でした。ところで、南投県川中米日月潭紅茶の産地なのです。そして仁愛郷と言えば第1回にも映画の話を少し書きましたが、1930年霧社の少数民族セデック族が起こした霧社事件で有名です。

 (日本統治時代末期に向かう1930年に起きた最大の抗日事件であり悲劇。)

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川中米はこのセデック族が台湾総督府軍に討伐されたのち、山から平地へ降ろされたセデック族に作らせたお米です。今後書く予定の蓬莱米同様に川中米も台湾総督府の財政収入に大きな貢献をすることになります。

 (霧社事件の首謀者 莫那鲁道モナルダオの墓)

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一方、台湾の代表的な茶葉と言えば烏龍茶になるわけですが、今回は第6回の追記と言うことで、日月潭紅茶に人生をかけた日本人とその歴史について書きたいと思います。

 

紅茶の世界的産地と言えば、今年の夏に行きたかったインドかスリランカになるわけです。そのインド北東部(アッサム地方)から紅茶の苗木を南投縣魚池に持ち込み栽培しようとした日本人がいました。

群馬県沼田市出身新井耕吉郎(1904年生まれ)。1926年台湾総督府中央研究所平鎮茶業試験支所勤務となりました。台湾各地において茶畑の土壌・気候・水質など調査した結果、標高800mにある南投縣魚池郷(日月谭)が紅茶栽培に最適であるとの結果を得たのです。

(前列左側が新井耕吉郎銅像、"紅茶之守護者"と言われた。)

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1936年臺灣總督府中央研究所魚池紅茶試驗支所を開設して、アッサム地方から取り寄せた苗木で台湾紅茶の茶葉栽培をすることになりました。1930年世界恐慌の煽りで烏龍茶の需要落ち込みを支えたのが日月潭紅茶で皇室にも献上されたほどの高級品でした。紅茶が現在ほど一般に普及していたものではない時代だったのです。

新井は妻と二人の子供を現地で亡くしています。新井自身は終戦南投県で迎えましたが、そのまま台湾に残り紅茶の研究・普及・発展に尽力しました。残念ながら新井も1946年マラリアに罹り死亡します(享年42歳)。日月潭紅茶に賭けた人生でした。

戦後、臺灣省行政長官公署農林處に接收されて臺灣省農業試驗所魚池紅茶試驗支所となりましたが、新井の遺志は部下だった陳為禎が引き継ぎました。幾つかの変遷を経て、現在は行政院農業委員會茶業改良場(魚池分場)となりました。その生産工場が台湾農林公司魚池茶葉製茶工廠です。

 (日月潭からの帰りに立ち寄った魚池茶葉製茶工廠。建屋は当時のままで蔦が絡まり趣がある2階建て工場。)

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別名、日月老茶廠とも呼ばれて、現場で製造された茶葉も直売している工場です。高い南洋樹の椰子の木に囲まれた当時の工場の姿がそのまま残り、レトロでありながらもお洒落な感じです。

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1階の茶葉販売コーナーには昔の缶詰め紅茶の缶が展示されています。1927年三井紅茶から社名変更した日東紅茶の茶缶も拝見できました。 

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女性が傘を被りながらの手で茶摘みしている様子が拝見できました。工場周辺の茶畑には、日月潭紅茶(紅玉)の民国93年(2004年)版や96年(2007年)版が植えられていました。

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現在でも稼働している焙煎機や古い脱穀機や道具も置いてありました。紅茶の場合には茶葉を乾燥させる工程が大事だそうです。工場2階の窓は全開で茶葉を風に当てて茶葉に含む水分を飛ばします。細胞が濃縮されて成分を化学変化させる工程(萎凋)です。

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拝見した印象では随分と古い機械で茶葉を揉んでいます。茶葉の細胞を破壊して表面発酵を促す工程(揉捻)です。

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さすがに現在では使用していない、茶葉を揉む機械と茶葉をばらす機械。これらは展示品です。

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50年代から70年代までは新井の努力も実り、日月潭紅茶の黄金時代でした。その後70年台から80年台にインド産やスリランカ産の価格競争に負けて不遇な時代も有りましたが、90年代後半に発生した大地震後に再度茶葉生産に力を入れたために、近年ではヨーロッパで高い評価を得ているそうです。

日月潭紅茶の特徴は、独特な微かな薫香とメンソール系の鼻に抜ける独特の芳香を持ち、非常に濃密で芳醇だと言われています。現在では紅玉(シナモン・ミント系、台茶18号)、紅韻(フローラ系、台茶21号)、阿薩姆(アッサム系、台茶7号&8号)の4品種が開発されました。紅玉は、現在台湾では一番生産量の多い品種です。大量生産ではありませんが、高品質を保ちながら生産しているそうです。

(現場で製造された茶葉もティーパックの形で直売しています。私が購入したのは8号と18号でした。)

 

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また、第6回で説明したウンカ食害(内分泌物)を利用した蜜香紅茶の生産も行われているとのことで、一人の日本人の紅茶に対する深い愛着で日月潭紅茶は新たな歴史を迎えています。