今回は第21回で書いた中華民国(南京政府)設立以降、共産党との第二次国共合作から大陸反抗までについて書きたいと思います。何故、中華民国が台湾島に移動しなければいけなかったのかを理解するためです。 1925年革命半ばで孫文が亡くなります。革命遺志…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。