(第33回)廣枝音右衛門慰霊祭に参加して

廣枝音右衛門(ひろえだおとうえもん)と書いても歴史上の人物として取り上げられることは滅多にないので、ご存じない方が多いと思いますが、この方の慰霊祭に参加しました。場所は苗栗県獅頭山勧化堂でした。 (獅頭山勧化堂の後廟) (慰霊祭の様子、24名…

(第32回)中華民国中央銀行と台湾銀行について

現在流通している紙幣及び貨幣を見ると発券元は、中華民国中央銀行と印刷されています。取りも直さず、台湾政府系の唯一の中央銀行で発券業務を司っているわけですが、日本の中央銀行が日本銀行であるように、台湾の中央銀行は、嘗て日本統治時代の中央銀行…

(第31回)毛沢東夫人(江青)と蒋介石夫人(宋美齢)

1991年6月、毛沢東第四夫人だった江青が北京郊外の監禁先で自殺したニュースを人民日報で知った時のことはよく覚えています。四人組の一人として裁判の様子や死刑判決のTVニュースも衝撃的でしたが、まだ生きていたんだと言うのが正直な印象でした。 当時は…

(第30回)台湾バナナについて

台湾の歴史からは少々逸脱しますが、今回は嘗ては外貨収入の稼ぎ頭の一つだった台湾バナナについて書きたいと思います。 私の趣味は歴史以外ではランニングで国内外各種マラソン大会にも出走しています。どの大会でも給食場所(エイド)に1/3にカットされて…

(第29回)終戦と引き揚げ事業について

今回は、日本の台湾統治の終焉である中国戦区台湾省降伏受諾式典(無条件降伏)後の日本人引き揚げ事業について書きたいと思います。 ⇒降伏受諾式典に関しては、第2回ご参考ください。 (1945年10月25日、台北市内(現中山堂)で行われた中国戦区台湾省降伏…

(第28回)閩南語(びんなんご)と台湾語について

私は台湾語(ホーロー語(河洛語・福佬語))を勉強しています。中国語(普通語)は上手ではありませんが、長い期間中華圏ビジネスに携わってきたお陰で、日常生活やビジネス上では不便はしていません。でもせっかく台湾で起業しているのですから、現地言語…

(第27回)台湾ビーフン(米粉)の思い出について

第26回で台湾における初等・中等教育について調べていたら、台湾名物料理のビーフン(米粉)の思い出について書きたくなりました。いつもの台湾歴史の内容から少々ずれますが、ご勘弁頂きたく存じます。 (寧夏夜市にて) 何故、教育とビーフンが結びつくのか…

(第26回)台湾の日本統治時代における初等教育(公学校)について

MRT淡水信義線芝山駅から徒歩で20分ほど歩くと、夜市で有名な士林区に芝山公園が有ります。2千万年前の大昔には海底でしたが、火山噴火により小高い丘になった場所です。アンモナイトも発見される場所です。 公園内に清朝康熙帝時代に福建省漳州府からの移民…

(第25回)台湾総督府と総督明石元二郎 ~李登輝元総統を偲んで~

2020年7月30日、李登輝元総裁が惜しまれながらも亡くなりました(享年97歳)。日本の台湾統治時代、新渡戸稲造に憧れて京都帝国大学農学部卒業、自らを親日派と言って憚らない政治家にして農政学者でもありました。ちなみに、新渡戸同様に李登輝氏もクリスチ…

(第24回)台湾における日本統治時代の専売制について

今回は台湾における日本統治時代の専売制に関連することを書きたいと思います。先ずは、専売制の定義「国家が財政収入を増加させるために、特定物資の生産・流通・販売を国家管轄化に置くこと。発生する利益は、国家独占となる。」 台湾総督府の財政について…

(第23回)烏山頭水庫(ダム)を造り、嘉南平野を実り多い土地にした八田與一ついて

第14回で紹介した新渡戸稲造の研究で糖業が台湾一大産業になったのも、第15回で紹介した磯栄吉が作った日本米と台湾米の混合品種の蓬莱米もある意味で、このインフラが整備されたからこそ台湾総督府の財政と日本内地に多大な影響を与えたと言っても過言では…

(第22回)台湾の皇民化政策(運動)について

今回は、7月末惜しくも97歳で亡くなった李登輝元総統を偲びつつ台湾における皇民化運動について書きたいと思います。 第19回で書きました通り、台湾における民主活動の先駆者である蒋渭水が創設した台湾民主党は、1931年に解党させられます。同年には関東軍…

(第21回 その3)第二次国共合作から大陸反抗まで

今回は第21回で書いた中華民国(南京政府)設立以降、共産党との第二次国共合作から大陸反抗までについて書きたいと思います。何故、中華民国が台湾島に移動しなければいけなかったのかを理解するためです。 1925年革命半ばで孫文が亡くなります。革命遺志…

(第21回その2)台湾の国歌と三民主義について

20世紀初頭の台湾に関わる近代史を勉強する上で、孫文の存在を無視するわけにはいきません。孫文はその生涯で何回か日本へ亡命しているのですが(蒋介石も同様)、1905年亡命先の東京で民主革命を目指すべく中華同盟会を発足します。 清国や当時日本に統治さ…

(第20回)辛亥革命と清朝滅亡について

前回のブログで日本の台湾統治時代は1920年代に突入してしまいました。今回は少々時間を戻して、辛亥革命と清朝滅亡の過程に関することを書きたいと思います。このブログは、本来台湾歴史に関する事を主題に置いていますが、中国大陸での清朝滅亡により成立…

(第19回)台湾統治時代に於ける警察組織と民主化運動について

今回は台湾における日本統治時代の警察組織と台湾人の民族自決主義に関連して書きたいと思います。 以前ブログにも書きましたが、台湾総督府における台湾統治時代(約50年間)の歴史で、合計19名の総督が誕生しました。10名が軍官人(陸軍:7名、海軍:3名)…

(第17回)日本統治時代の台北医院と医学校について

今回は日本統治時代の台北の医療関連について書きたいと思います。前回ブログで台北市内の上下水道設備建設のために英国人バルトンと浜野弥四郎が源水地を懸命に探していた同時期、台北市内では様々な疫病が発生していました。 特にペスト(中国語:鼠疫病)…

(第18回)台湾の鉄道発展と鉄道ホテルの歴史について

清朝時代末期になり、欧州列強の帝国主義により台湾島において防衛上の理由と商業上の理由で、基隆から台北経由新竹まで台北巡撫劉銘伝が鉄道敷設します。その後、台湾総督府交通局鉄道部が引き継ぎ、従来路線を修復しながら高雄までの台湾縦貫鉄道路線を計…

(第16回)台北市内の上下水道(自来水)の歴史について

今回は台北市内の上下水道(自来水)に関する歴史について書きたいと思います。我々が普段何気なく使用している水道ですが、清潔な飲み水が出ることを当たり前のことの様に生活しています。 世界的にみると、1856年イギリス ロンドンに世界最初の下水道が完…

(第15回)台湾の米作(蓬莱米)の歴史について

私は台湾料理の中でも『鲁肉飯』は大好きな一品です。普段台湾で食事をしていてお米の味に違和感を覚えたことはあまりありません。今回はそのお米に関する台湾の歴史を書きたいと思います。前回(第14回)のサトウキビ(甘蔗)とも多少関連します。 日清・日…

(第14回)台湾の糖業について

嘗て李登輝総統は「台湾は糖業と米作で稼いだ外貨で工業化させて貰った。」と述べたそうです。少々大袈裟かもしれませんが、それほど糖業は一大産業であったことに間違いはありません。今回は台湾の糖業について書きたいと思います。 民生局長官後藤新平は、…

(第13回)民生長官後藤新平の都市計画とインフラ整備などについて

1898年陸軍中将第3師団長であった児玉源太郎は第4代台湾総督府総督の拝命を受けました。前回ご紹介した通り、日清戦争終了時に広島宇品港で臨時陸軍検疫部部長だった児玉により朝鮮半島からの帰還兵士の消毒・検疫の大事業を遂行した後藤新平が台湾総督府民…

(第12回)台湾の土台を作り上げた男(後藤新平)について

いよいよ大日本帝国の台湾統治時代となるわけですが、この時代を語る時に後藤新平なくしては有り得ません。今回は、台湾の土台を作り上げた男(後藤新平)についてです。そして何故、台湾でそれほどまでに都市造りに強いこだわりを持つ様になったのかを探り…

(第11回)三国干渉から明治政府軍の台北府城入城まで

今回は、前回の下関条約締結以降、三国干渉と明治政府軍の台北府城入城について書きたいと思います。 下関条約第二条と第三条で台湾島・澎湖島・遼東半島(旅順口)の日本への割譲が決められたものの、交渉途中で欧州列強諸国からは様々な干渉がありました。…

(第10回)日清戦争前後の大日本帝国と大清国及び李氏朝鮮との関係について

台湾島及び澎湖島の日本の統治時代を語る時にどうしても避けられないのが、日清戦争前後の大日本帝国・大清帝国・李氏朝鮮との3国間の関係です。今回はこのことを書きたいと思います。 1894年黄海会戦・平壌陥落・遼東半島(旅順口)攻略で大日本帝国は大清…

(第9回)清朝時代の台北府行政機関について

今回は、清朝時代の台北府行政機関について書きたいと思います。1684年鄭氏王国が崩壊して清朝が台湾島を支配した時点では、『福建省台湾府』と呼ばれていました。台湾島が福建省のひとつの行政管理地域に過ぎず、植民地支配政策として殖産興業もしない支配…

(第8回)台北府城と城壁の成り立ちについて

今回は台北府城とその城壁の成り立ちについて書きたいと思います。前回のブログでご説明した通り、19世紀になると中国大陸では欧州列強の進出が激しくなり、各地が租借される状況が発生します。 そのために、台湾島においても漢人役人及び住民保護と防衛上の…

(第7回)中国清朝による台湾島支配について

今回は、鄭氏王国消滅後の清朝(大清帝国)による台湾島支配の過程について書きたいと思います。1683年鄭氏王国は清朝により僅か23年間で消滅させられますが、中國歴代最高の名君と誉れ高い第3代皇帝康熙帝の計らいで台湾島から鄭一族とその家臣全員が中国大…

(第6回 ~ 追記~) 台湾日月潭の紅茶産業について  

このブログを書いている時点では夏真っ盛りです。私は台北で自営業を営んでいますから、いつでも休みは取れます。昨年の今頃は定年退職直前でもあり、有給休暇の消化で長めの休みを取りイスラエル(エルサレム⇒ナザレ⇒パレスチナ自治区(ベツレヘム)⇒テルア…

(第28回)先住民族の邵族(サオ族)とサオ族の食事について

台湾の歴史を語る時に、要所要所でどうしても少数民族、所謂、先住民族のことを外せません。このブログでもその時々に先住民族の話題を書いてきました。現在、台湾政府が公認している先住民族は16部族です。そもそも先住民族とは、17世紀以降に中国大陸から…