(第28回)先住民族の邵族(サオ族)とサオ族の食事について

台湾の歴史を語る時に、要所要所でどうしても少数民族、所謂、先住民族のことを外せません。このブログでもその時々に先住民族の話題を書いてきました。現在、台湾政府が公認している先住民族16部族です。そもそも先住民族とは、17世紀以降に中国大陸からの漢民族移民以前から台湾島に居住していた民族であると定義されています。

 私は今年の夏季休暇で南投県魚池郷にある観光地日月潭に行きました。此処には16部族の中で最少人数(800人弱)と言われている邵族(サオ族)が、嘗ては日月潭の湖畔に住んでいました。

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最新の台湾総人口は2300万人強、16部族の総人口は約55万人と言われています。ですから、邵族(サオ族)800人弱はいかに少ないかがお分かりかと思います。まさに文字通りの少数民族です。

もともと邵族は阿里山に住んでいた山族でした。しかし、狩猟生活(伝説では白い鹿を追っていた)をしているうちに北上して日月潭へやってきて平埔族(平地族)になったと言われています。平地と言っても海抜800mぐらいです。

 

19世紀末期から日本が台湾を統治するようになり、1918年第7代台湾総督明石元二郎の発案で台湾電力株式会社を興します。嘗て台北帝国大学医学部付属医院長であった高木友⇒第17回を参照)が社長に就任します。

そして、日月潭水力電気発電所を建設するため日月潭を貯水池として濁水渓(河)から水を引き込む事になったのです。その結果、湖面が約20mも上昇し邵族が居住していた地域が水没することが判明して移住せざるを得なかったのです。このような理不尽にも耐えてきた民族でした。ちなみに第一次世界大戦後の世界大恐慌の影響で資金不足になり1934年に日月潭第一水力発電が完成した。

日月潭の堤防に残る抽水するための水道管跡と堰堤跡)

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(左手の段差は当時の堰堤跡、湖面中央の島は邵族の守り神(ラルー)を祀った場所。)

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さて、そのサオ族の食事を夕飯に頂きました。日月潭は周りを山に囲まれていますので、サオ族は農耕民族でありながらも湖で漁業と山で狩猟の両方も出来る珍しい先住民族です。

肝心のメニューですが、平地の農耕で取れたお米、湖でとった淡水エビと小魚(ワカサギみたいな魚)、地鶏の炒め物、竹の子の煮物、特産のキャベツの炒め物、地鶏ガラで取った山菜入りスープでした。全て木で出来た食器とお皿がバナナの葉が敷かれた大ざるに載って運ばれてきます。決して豪華とも美食とも言えないメニューですが、邵族の食事と思えば納得です。

 

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ちなみに、朝ランニングした時に湖で漁をしている風景を観られましたが、小舟に乗って投網で淡水エビや小魚を一網打尽にする手法でした。これは邵族がしていた方法と変わらないでしょうね。今後もチャンスがあれば先住民族の食事内容もアップしたいと思います。