2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

(第11回)三国干渉から明治政府軍の台北府城入城まで

今回は、前回の下関条約締結以降、三国干渉と明治政府軍の台北府城入城について書きたいと思います。 下関条約第二条と第三条で台湾島・澎湖島・遼東半島(旅順口)の日本への割譲が決められたものの、交渉途中で欧州列強諸国からは様々な干渉がありました。…

(第10回)日清戦争前後の大日本帝国と大清国及び李氏朝鮮との関係について

台湾島及び澎湖島の日本の統治時代を語る時にどうしても避けられないのが、日清戦争前後の大日本帝国・大清帝国・李氏朝鮮との3国間の関係です。今回はこのことを書きたいと思います。 1894年黄海会戦・平壌陥落・遼東半島(旅順口)攻略で大日本帝国は大清…

(第9回)清朝時代の台北府行政機関について

今回は、清朝時代の台北府行政機関について書きたいと思います。1684年鄭氏王国が崩壊して清朝が台湾島を支配した時点では、『福建省台湾府』と呼ばれていました。台湾島が福建省のひとつの行政管理地域に過ぎず、植民地支配政策として殖産興業もしない支配…

(第8回)台北府城と城壁の成り立ちについて

今回は台北府城とその城壁の成り立ちについて書きたいと思います。前回のブログでご説明した通り、19世紀になると中国大陸では欧州列強の進出が激しくなり、各地が租借される状況が発生します。 そのために、台湾島においても漢人役人及び住民保護と防衛上の…