2020-01-01から1年間の記事一覧

(第22回)台湾の皇民化政策(運動)について

今回は、7月末惜しくも97歳で亡くなった李登輝元総統を偲びつつ台湾における皇民化運動について書きたいと思います。 第19回で書きました通り、台湾における民主活動の先駆者である蒋渭水が創設した台湾民主党は、1931年に解党させられます。同年には関東軍…

(第21回 その3)第二次国共合作から大陸反抗まで

今回は第21回で書いた中華民国(南京政府)設立以降、共産党との第二次国共合作から大陸反抗までについて書きたいと思います。何故、中華民国が台湾島に移動しなければいけなかったのかを理解するためです。 1925年革命半ばで孫文が亡くなります。革命遺志…

(第21回その2)台湾の国歌と三民主義について

20世紀初頭の台湾に関わる近代史を勉強する上で、孫文の存在を無視するわけにはいきません。孫文はその生涯で何回か日本へ亡命しているのですが(蒋介石も同様)、1905年亡命先の東京で民主革命を目指すべく中華同盟会を発足します。 清国や当時日本に統治さ…

(第20回)辛亥革命と清朝滅亡について

前回のブログで日本の台湾統治時代は1920年代に突入してしまいました。今回は少々時間を戻して、辛亥革命と清朝滅亡の過程に関することを書きたいと思います。このブログは、本来台湾歴史に関する事を主題に置いていますが、中国大陸での清朝滅亡により成立…

(第19回)台湾統治時代に於ける警察組織と民主化運動について

今回は台湾における日本統治時代の警察組織と台湾人の民族自決主義に関連して書きたいと思います。 以前ブログにも書きましたが、台湾総督府における台湾統治時代(約50年間)の歴史で、合計19名の総督が誕生しました。10名が軍官人(陸軍:7名、海軍:3名)…

(第17回)日本統治時代の台北医院と医学校について

今回は日本統治時代の台北の医療関連について書きたいと思います。前回ブログで台北市内の上下水道設備建設のために英国人バルトンと浜野弥四郎が源水地を懸命に探していた同時期、台北市内では様々な疫病が発生していました。 特にペスト(中国語:鼠疫病)…

(第18回)台湾の鉄道発展と鉄道ホテルの歴史について

清朝時代末期になり、欧州列強の帝国主義により台湾島において防衛上の理由と商業上の理由で、基隆から台北経由新竹まで台北巡撫劉銘伝が鉄道敷設します。その後、台湾総督府交通局鉄道部が引き継ぎ、従来路線を修復しながら高雄までの台湾縦貫鉄道路線を計…

(第16回)台北市内の上下水道(自来水)の歴史について

今回は台北市内の上下水道(自来水)に関する歴史について書きたいと思います。我々が普段何気なく使用している水道ですが、清潔な飲み水が出ることを当たり前のことの様に生活しています。 世界的にみると、1856年イギリス ロンドンに世界最初の下水道が完…

(第15回)台湾の米作(蓬莱米)の歴史について

私は台湾料理の中でも『鲁肉飯』は大好きな一品です。普段台湾で食事をしていてお米の味に違和感を覚えたことはあまりありません。今回はそのお米に関する台湾の歴史を書きたいと思います。前回(第14回)のサトウキビ(甘蔗)とも多少関連します。 日清・日…

(第14回)台湾の糖業について

嘗て李登輝総統は「台湾は糖業と米作で稼いだ外貨で工業化させて貰った。」と述べたそうです。少々大袈裟かもしれませんが、それほど糖業は一大産業であったことに間違いはありません。今回は台湾の糖業について書きたいと思います。 民生局長官後藤新平は、…

(第13回)民生長官後藤新平の都市計画とインフラ整備などについて

1898年陸軍中将第3師団長であった児玉源太郎は第4代台湾総督府総督の拝命を受けました。前回ご紹介した通り、日清戦争終了時に広島宇品港で臨時陸軍検疫部部長だった児玉により朝鮮半島からの帰還兵士の消毒・検疫の大事業を遂行した後藤新平が台湾総督府民…

(第12回)台湾の土台を作り上げた男(後藤新平)について

いよいよ大日本帝国の台湾統治時代となるわけですが、この時代を語る時に後藤新平なくしては有り得ません。今回は、台湾の土台を作り上げた男(後藤新平)についてです。そして何故、台湾でそれほどまでに都市造りに強いこだわりを持つ様になったのかを探り…

(第11回)三国干渉から明治政府軍の台北府城入城まで

今回は、前回の下関条約締結以降、三国干渉と明治政府軍の台北府城入城について書きたいと思います。 下関条約第二条と第三条で台湾島・澎湖島・遼東半島(旅順口)の日本への割譲が決められたものの、交渉途中で欧州列強諸国からは様々な干渉がありました。…

(第10回)日清戦争前後の大日本帝国と大清国及び李氏朝鮮との関係について

台湾島及び澎湖島の日本の統治時代を語る時にどうしても避けられないのが、日清戦争前後の大日本帝国・大清帝国・李氏朝鮮との3国間の関係です。今回はこのことを書きたいと思います。 1894年黄海会戦・平壌陥落・遼東半島(旅順口)攻略で大日本帝国は大清…

(第9回)清朝時代の台北府行政機関について

今回は、清朝時代の台北府行政機関について書きたいと思います。1684年鄭氏王国が崩壊して清朝が台湾島を支配した時点では、『福建省台湾府』と呼ばれていました。台湾島が福建省のひとつの行政管理地域に過ぎず、植民地支配政策として殖産興業もしない支配…

(第8回)台北府城と城壁の成り立ちについて

今回は台北府城とその城壁の成り立ちについて書きたいと思います。前回のブログでご説明した通り、19世紀になると中国大陸では欧州列強の進出が激しくなり、各地が租借される状況が発生します。 そのために、台湾島においても漢人役人及び住民保護と防衛上の…

(第7回)中国清朝による台湾島支配について

今回は、鄭氏王国消滅後の清朝(大清帝国)による台湾島支配の過程について書きたいと思います。1683年鄭氏王国は清朝により僅か23年間で消滅させられますが、中國歴代最高の名君と誉れ高い第3代皇帝康熙帝の計らいで台湾島から鄭一族とその家臣全員が中国大…

(第6回 ~ 追記~) 台湾日月潭の紅茶産業について  

このブログを書いている時点では夏真っ盛りです。私は台北で自営業を営んでいますから、いつでも休みは取れます。昨年の今頃は定年退職直前でもあり、有給休暇の消化で長めの休みを取りイスラエル(エルサレム⇒ナザレ⇒パレスチナ自治区(ベツレヘム)⇒テルア…

(第28回)先住民族の邵族(サオ族)とサオ族の食事について

台湾の歴史を語る時に、要所要所でどうしても少数民族、所謂、先住民族のことを外せません。このブログでもその時々に先住民族の話題を書いてきました。現在、台湾政府が公認している先住民族は16部族です。そもそも先住民族とは、17世紀以降に中国大陸から…

(第6回)台湾のお茶産業(烏龍茶)の歴史について

1860年北京条約により淡水が欧州列強国に開港されました。第5回ブログでご紹介しましたが、1867年英国は清朝から『アントニー要塞(紅毛城)』を租借して領事館を設置しました。これにより英国から多くの商人が淡水付近に商館を建てます。そして今回は台湾の…

(第5回)淡水と旧商業地区として水運で繁栄した大稻埕・艋舺の歴史について

今回は淡水の発展と旧商業地区として水運で繁栄した淡水河上流の大稻埕・艋舺の歴史に関して書きたいと思います。先ずは淡水の歴史に関して説明をします。 淡水は台湾最北部にある淡水河下流河口にあり、対岸は観音山と向かいあっています。外海は台湾海峡で…

(第21回)中華民国北京政府から南京政府成立までの過程について

前回は大清帝国の滅亡について書きましたが、今日は中華民国(臨時政府)成立過程について書きたいと思います。 先ずは辛亥革命(第一革命)直後の状況ですが、1911年湖北省武昌と漢陽で勃発した革命の火は反清朝思想に同調した全国13省に拡大します。そして…

(第4回)オランダ東インド会社の凋落と鄭氏王国の成立と崩壊

第4回は、オランダ東インド会社(荷蘭福爾摩沙)の凋落と鄭氏王国の成立と崩壊に関してです。 前回にも触れました通り、1624年台湾島を支配したオランダは17世紀中頃までは福建省や広東省から連れて来た漢人にプランテーション(大規模農園)をさせて香辛料…

(第3回)台湾とオランダ東インド会社及び中国明朝(鄭成功)との関わりについて

第3回は、台湾にオランダ及び中国明朝がどの様に関わっていたかについてです。 先ず、中国明朝に関してですが、明朝は14世紀モンゴル民族の元朝を大都(北京)から追いやり、17世紀にかけて栄えた漢民族の王朝です。この明朝末期に漢民族でありながら母親が…

(第2回)台湾における日本統治終焉と日華平和条約について

第1回は台湾と日本の最初の歴史的接点の『牡丹社事件』を取り上げました。第2回は、いきなりですが、台湾における日本統治の終焉について取り上げます。 1894年日清戦争での勝利により、明治政府として初めての植民地を得た場所が台湾島と澎湖島となります。…

(第1回)台湾と日本との最初の歴史的接点(牡丹社事件)に関して

これから私は台湾の歴史、特に17世紀以降の明朝と清朝との関わり合い、そして明治維新後に初めての植民地としての統治時代とその発展と終焉を時代もトピックスもランダムに綴りたく思います。時として、台湾歴史から少々ずれることも有るかもしれませんが、…

皆さん初めまして!

昨年9月に長かったサラリーマン人生を無事に定年退職しました。 入社以来海外営業、特に中華圏を中心に台湾・中国・シンガポールとサラリーマン人生のほとんどを各地に駐在して参りました。 そして、第二の人生を台湾台北に生活拠点を移してこれまでの経験を…