(第21回その2)台湾の国歌と三民主義について

20世紀初頭の台湾に関わる近代史を勉強する上で、孫文の存在を無視するわけにはいきません。孫文はその生涯で何回か日本へ亡命しているのですが(蒋介石も同様)、1905年亡命先の東京で民主革命を目指すべく中華同盟会を発足します。

清国や当時日本に統治されていた台湾から日本への留学生と亡命者を中心に民主革命を目指す同志と一緒に結成されたわけです。ところが、当初明治政府は黙認していましたが、やがてその活動や会合も活発になり清朝政府との関係で無視にもできず、これを取り締まざるを得なくなりました。

孫文も亡命先を日本(東京)からベトナムハノイ)経由シンガポールへと拠点を移します。そして、この中華同盟会を発足した時の革命理念が所謂三民主義(民生・民権・民族)』になったと言われています。

台湾の学校教育では三民主義が重要で、授業科目として存在するようです。台湾の国家は三民主義歌と言われるほどです。その歌詞は1911年辛亥革命から既に10数年が経過した1924年広東省黄埔に陸軍軍官学校(校長は蒋介石)が設立された際に孫文が祝辞を述べた内容だそうです。

(右手側:孫文(57歳)、左手側:蒋介石(36歳))

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ちなみに、陸軍軍官学校開校翌年には蒋介石校長自ら第一次北伐(北洋軍閥撲滅)を開始して中華民国統一を目指します。その最中の1925年『革命尚未成功(革命未だ成らず)』の遺言を残して孫文が北京協和病院で亡くなります(享年58歳)。

その当時は、容共でしたから国民党のみならず共産党からも数多くの青年が軍官学校へ志願しました。のちに毛沢東の暗殺計画を企てた林彪もこの学校出身者でした。

中華民国国家の歌詞を日本語訳で下記します。

(国家歌詞の翻訳)

三民主義は、我が党の指針です。
三民主義で民国を建設し、三民主義で大同(=世界平和)に進もう。

あなた方多くの人々は、民の為の模範となって、朝から夜まで怠けることなく、三民主義に従おう。勤勉であれ、勇敢であれ。必ず信じ必ず忠実であれ。
心と美徳を一つにして、最後まで三民主義を貫徹しよう。

YouTubeでその国家を聴いてみるとその歌詞内容に比較して随分とゆったりした優しい曲調だとお分かりになると思います。中華人民共和国国歌は事あるごとに聴く機会が有りますが、あの威勢の良い行進曲の様な感じとは別物です。

ところで何かこのゆったり感に違和感があると思っていたら、実は台湾国旗歌というものが別に存在しており、五輪や各種スポーツ大会や国事行事の国旗掲揚の際にはこれを使用するのだそうです。

さて、三民主義(民生・民権・民族)です。民生も民権もなんとなく理解できます。民生とは中華民国国民の平和で安定した生活を目指す。民権とは、中華民国国民の平等な人権と主張をしよう。そしてここで民族について良く分からなくなりました。

民族とは五族共和を指すそうです。つまり、『漢族・満族満州族)・蒙族(モンゴル族)・回族イスラム族)・蔵族(ウィグル族)の諸民族を合わせて民族統一した国家を造る』と言う民族主義に基づいた理念です。

台湾(或いは台湾人)として、ひとつの国家(或いはひとつの民族)と位置付ける場合にこの三民主義と台湾(人)との関係をどの様に解釈すれば良いのでしょうか?