(第6回)台湾のお茶産業(烏龍茶)の歴史について

1860年北京条約により淡水が欧州列強国に開港されました。第5回ブログでご紹介しましたが、1867年英国は清朝から『アントニー要塞(紅毛城)』を租借して領事館を設置しました。これにより英国から多くの商人が淡水付近に商館を建てます。そして今回は台湾の…

(第5回)淡水と旧商業地区として水運で繁栄した大稻埕・艋舺の歴史について

今回は淡水の発展と旧商業地区として水運で繁栄した淡水河上流の大稻埕・艋舺の歴史に関して書きたいと思います。先ずは淡水の歴史に関して説明をします。 淡水は台湾最北部にある淡水河下流河口にあり、対岸は観音山と向かいあっています。外海は台湾海峡で…

(第21回)中華民国北京政府から南京政府成立までの過程について

前回は大清帝国の滅亡について書きましたが、今日は中華民国(臨時政府)成立過程について書きたいと思います。 先ずは辛亥革命(第一革命)直後の状況ですが、1911年湖北省武昌と漢陽で勃発した革命の火は反清朝思想に同調した全国13省に拡大します。そして…

(第4回)オランダ東インド会社の凋落と鄭氏王国の成立と崩壊

第4回は、オランダ東インド会社(荷蘭福爾摩沙)の凋落と鄭氏王国の成立と崩壊に関してです。 前回にも触れました通り、1624年台湾島を支配したオランダは17世紀中頃までは福建省や広東省から連れて来た漢人にプランテーション(大規模農園)をさせて香辛料…

(第3回)台湾とオランダ東インド会社及び中国明朝(鄭成功)との関わりについて

第3回は、台湾にオランダ及び中国明朝がどの様に関わっていたかについてです。 先ず、中国明朝に関してですが、明朝は14世紀モンゴル民族の元朝を大都(北京)から追いやり、17世紀にかけて栄えた漢民族の王朝です。この明朝末期に漢民族でありながら母親が…

(第2回)台湾における日本統治終焉と日華平和条約について

第1回は台湾と日本の最初の歴史的接点の『牡丹社事件』を取り上げました。第2回は、いきなりですが、台湾における日本統治の終焉について取り上げます。 1894年日清戦争での勝利により、明治政府として初めての植民地を得た場所が台湾島と澎湖島となります。…

(第1回)台湾と日本との最初の歴史的接点(牡丹社事件)に関して

これから私は台湾の歴史、特に17世紀以降の明朝と清朝との関わり合い、そして明治維新後に初めての植民地としての統治時代とその発展と終焉を時代もトピックスもランダムに綴りたく思います。時として、台湾歴史から少々ずれることも有るかもしれませんが、…

皆さん初めまして!

昨年9月に長かったサラリーマン人生を無事に定年退職しました。 入社以来海外営業、特に中華圏を中心に台湾・中国・シンガポールとサラリーマン人生のほとんどを各地に駐在して参りました。 そして、第二の人生を台湾台北に生活拠点を移してこれまでの経験を…